真萩さんとの対話

真萩
2016年10月18日 14:01
はじめまして
何をもって生きていても仕方がないと仰るのか。たくさんの才能に恵まれて歩んで来られ、世の中に大いに貢献されたではありませんか。生きていても意味のない私、とは。素晴らしい人生を歩んで来られ周囲の方々に啓発を促して来られたのは凡人には出来がたい事と賞賛致しております。どうか御自身の存在を認めてあげて下さい。そして、必要だからこそ、今ここにいるのだとお考え下さいませ。
きみだんご
2016年10月18日 15:25
真萩さん、心配させてごめんなさい。孤独な老人の泣き言とお許し下さい。真萩さんのような読者がいるとは思ってもみませんでした。アクセスしてくれる人はいるのですが、コメントまでしてくれません。真萩さんのお言葉に勇気付けられました。ありがとうございました。頑張って長生きします!
真萩
2016年10月20日 11:02
神のアガペに見守られながら迷える子羊たちはストロゲー、エロス、fィリアを求め与えながら長い道のりを歩む。いにしえでは「遊びをせんとや生まれけむ・・・」と人々の心情を捉えて歌われた。これからの人生、御自身のお心のおもむきを尊重され―、労わられて無理せずに頑張って下さいませ。
きみだんご
2016年10月20日 16:57
はい、わかりました、真萩さん。ありがとうございます。頑張ります。でも、年をとると寂しいですね。親類縁者と死に別れたり、多くの人たちとも疎遠にありますし。両親もいなくなってしまったので、今度は私の番です。自分が死ぬのは怖くないですが、親しい人が亡くなるのは辛いですね。残されたほうが大変ですね。
真萩
2016年10月21日 11:50
こんにちは 前文fィリア→フィリアと訂正します。失礼しました
次は私の番だと、何故お決めになるのか、切ないですね。一寸先は闇と言うではありませんか。神のみぞ知るとはどう言う意味ですか。必要だからこそ今ここにいる、と思って下さいませんか。「生ぜしもひとりなり 死するも独りなり されど人と共に住するも独りなり そいはつべき人なき故なり(一遍)」ああ、何と研ぎ澄まされた奥の深いお言葉!如何思われますか? ズシンと寂寥感に駆られたが反芻すると皆等しく独りなのだと思いやれた。意識も確か体も動けるきみだんご様、御自身の才能を基に喜怒哀楽を大いに楽しんで下さいませね。武運長久を祈ります。
きみだんご
2016年10月21日 12:41
私は健康ですが、もう元気も気力もないんですよ。一編の言葉は素晴らしいと思います。しかし、私はただの凡人だし、孤独もただ嘆くだけです。一編みたいに達観できません。せめて、世間に迷惑をかけずに、老い恥をさらさないように生きていこうと思うだけです。
真萩
2016年10月21日 14:40
美味しい物を沢山召し上がって元気を出して下さい。一遍の言葉は私たち凡人に啓発をして救済をしますが、御自身もブログを通じて読者に何かを考える為のヒントや随筆を読む楽しみ等を提供し癒して下さっています。御自身の余りある才能に尊敬の念をもち、ブログなるものに生まれて初めてコメントした次第です。決して独りではないはずですから悲観することなく、自信をもって生きて下さい。因みに私も同年齢の者ですから年齢の抱える問題には共感するところは多々ありますので遥か彼方(宇都宮市)からエールをお送り致します。がんばって下さい~~
きみだんご
2016年10月22日 06:30
そうですね、若い頃みたいに、無茶食いはできないですが、美味しい物を食べたいですね。コメントに感謝します。エールにも感謝します。真萩さんのお陰で、少し元気が出ました。ありがとうございます。
真萩
2016年12月20日 14:33
こんにちは
思い出にはご両親との幸せな時がたくさんあったのですね、哀愁を感じます。いにしえの時代、中大兄皇子が御母上を失った際に面影を求めて歌ったお歌をお送りします。私の好きな一首でもあります。
「君が目の 恋しきからに 泊てていて かくや恋ひむも
 君が目を欲り」
きみだんごさんご自身の近現代史が豊かなものでありますように
きみだんご
2016年12月20日 16:34
真萩さん、お久しぶりです。素晴らしい和歌をありがとうございます。両親がいなくなったのは寂しいですが、男らしく生きていこうと思います。両親のことは忘れられません。しかし、寂しさ、悲しさは安らぎに通じるところがあると思います。今後とも宜しくお願いします。
真萩
2016年12月23日 16:59
私の方こそ楽しく拝読しております、本当に有り難うございます。「無常」/永遠に変わらぬ世界とは“過去の思い出”を意味するのでは・・・。そこに訪れるとスッポリと湯の中に浸ったように温かくつつまれる。苦楽に満ちたその世界は安堵と英気を与え、幸福に向かって進むべき将来へのヒントを与えてくれる。現在は、未来に向かいながら自らのファイナルステージをどのように演出し、演技をかもしだして迎えれば「これでよかったのだ」と納得できるかしら、と思いを廻らします。苦しみを笑みに変えて(このタクティクスは少々難しいのですが:) ) いければいいですね。
きみだんご
2016年12月24日 10:12
聖書にこういう言葉があります。「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」苦しみを笑みに変えていく第一歩は忍耐だと思います。忍耐が練られた品性を生み出し、その品性が希望を生み出す、ということだと思います。世の中に存在するものに意味のないものはないと思います。苦しみでさえ、希望へと繋がっています。
真萩
2016年12月26日 21:33
確かに患難はおのずと忍耐を生み出し、逆に患難を乗越えようとするならば忍耐が必要ですね。造詣が深いお言葉、有り難うございます。苦しみを笑みに変えて女性として何時までも美しくありたいと願いつとめたいと思います。
今年もあとわずかになりました。つつがなく越年されますようにお祈りいたします。又、どうぞ宜しくお願いいたします。
きみだんご
2016年12月27日 05:37
患難や苦しみは、ただ見つめていれば、自然に消えていくかも知れませんね。その時、忍耐が必要なこともあるのでしょうね。真萩さんも、良い年を迎えられることをお祈りいたします。ことらこそ、宜しくお願いいたします。
真萩
2017年01月08日 13:05
新年明けましてお目出とうございます。一年の計はお決まりですか:) 般若心経の中に同じく「空」とあります。観音様が六波羅蜜(彼岸に渡る為の修行)を行った結果、心が煩悩を作り、その心(煩悩)が存在しなければ出世欲、物質欲等も存在しない。それらは存在すると思っているが実は「空」であって、心が存在すると認識しているにすぎないのである。そして、煩悩がなければ人生の苦しみさえも「空」であると説いています。つまり、人間は煩悩に縛られており、煩悩が不幸の原因や不幸の根本になっているのだと。人間の苦しみは、みんな心が生み出した幻のようなもので、その煩悩(苦しみ)は心が作り出すものだけれどその心もまた「空」であると。大変論理的ですね。色即是空、空即是色、色不異空、空不異色と般若(智慧)心経の中にあります。最澄の説く一心三観もほぼ同様ではないでしょうか。 では、今年は昨年よりも多少なりとも良い年になりますように。観音様には、この程度の煩悩ならお許し下さるでしょうね。
きみだんご
2017年01月08日 15:36
あけましておめでとうございます。父母を亡くして、寂しさ、悲しさ、を覚えることも多かったですが、時が経ち、今となっては、それらの心の状態も実体はなく空であると思えるようになり、苦しさはなくなりました。今は楽な気分です。悲しみも寂しさも否定することなく、ありのままに受け入れて見つめていれば、自然に解消するものですね。煩悩即菩提ですね。
私の人生はある意味で終りました。今年を新たな人生の出発点にしたいと思います。小欲知足を心がけて生きていこうと思います。
真萩さんにとっても、今年も良い年になりますように、お祈り申し上げます。
真萩
2017年01月08日 20:32
私の為にお祈り下さり有難く心よりお礼申し上げます  ご両親が亡くなられたとしても、きみだんごさんの中にはご両親が容姿のみならずお考え方や嗜好までを伝え、影響を与えて下さっておられると思うのですが。きみだんごさんの物腰をご覧になられた方はその有様を通じて生前のご両親のお姿をきっと垣間見るのではないでしょうか。それゆえ、亡くなってはいらっしゃるけれどもきみだんごさんを通じて生きておられるのではないでしょうか。私は父とは男女の違いだけで容姿も思考も価値観も趣味も大変似ていました。亡くなってから5年間位は無意識に「お父さん」と呟き、呼びかけておりました。なくなってはいるけれども私の中では生きているのでしょうから呼びかけていたのでしょう。最愛のご両親との思い出が必ずきみだんごさんを支え、激励して下さってらっしゃる筈です。そして
イエスキリスト様も共に傍らを歩んで下さっている。宗教には慰め励まされますね。新たな人生の出発にエールをお送り致します。どうかしっかり腹ごしらえをされて(笑)頑張って下さい~~、そして寒さの折くれぐれもご自愛くださいませ。
きみだんご
2017年01月09日 15:02
今でも両親が夢に出てくることがあります。若い時のことが多いですね。両親は子供には苦労や不自由をさせたくない、というタイプでした。だから、この歳でお坊ちゃまに見られます。親のご恩ですね。私は生活力が弱いのですが、今生きていられるのも、両親のお陰だと思います。亡くなってもお世話になっていてご恩を感じます。今でも心配していてくれているのかも知れない、と時々思います。
真萩さんもご自愛下さりますよう。
真萩
2017年02月01日 12:30
こんにちは、お元気ですか。
数学は難しい学問であまり得意ではありませんが^^; けれども、私の独りよがりですが特に数学は能力開発の為の学問と捉えます。論理的思考を養い何かを考える際に閃きやヒントを与え、大いに役立つ学問ではないでしょうか。
又、同様に音楽は楽しいですね。バッハの無伴奏組曲それもマイスキーで。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲そ
れもオイストラフで等等。シューベルトの鱒は川のよどみ急流そしてせせらぎを泳ぐ鱒の姿がひしひしと伝わり和ませてくれます。ところで、自動作曲システムは文明的でとても進化したシステムのようですね。作られた曲は作曲者の感情や意図するところなど、思い入れを表現する事が可能なのですか? 
きみだんご
2017年02月01日 14:00
真萩さん、お久しぶりです。私のほうは元気です。
数学は才能がないので大学初年級までしか分からないのですが、仕事では随分とお世話になりました。材料開発や自動作曲システムの開発では数学が役立ちました。高度ではありめせんけどね。
自動作曲システムでは曲を作るのにコード進行という「種」を与えるのですが。ここを工夫すれば、ある程度、感情や意図するところなど、思い入れを表現することが可能ですが、乱数を使うので、完全なコントロールは不可能ですね。
真萩さんは、クラシックがお好きなのですね。私はクラシックに限らずなんでも聞きます。音楽は大好きですから、どんな音楽でもOKです。
私のHPを覗いてみてください。沢山の音楽を掲載してあります。URLは以下のとおりです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kimmusic/
真萩
2017年02月04日 11:58
ホームページを訪れますと自動作曲(多分)された音楽が流れ、親しみやすい曲で印象深く感じ入りました。ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを1曲目から3曲目を拝聴しますと随分印象が変わりますね。私は特に3曲目が好きでした。確かに、曲の印象を変えて自由に作ったり、編曲出来るのは新しい発見もあり、素晴しいですね。自動作曲できみだんごさんが特に力を注がれた曲は何ですか
きみだんご
2017年02月04日 15:33
真萩さんの気に入った曲は全て人間が作ったものです。自動作曲システムは人工知能の応用で計算機がどこまで人間の能力に迫れるか試してみたものです。やはり、まだまだ人間には適いませんが、理論的には私の方法で、人間並みの作品が作れるはずです。そのためには、システムを大幅に書き換えなくてはなりません。大変な作業になると思いますので、やる気がしません。自動作曲は計算機が全て行うので私が力を注ぐ部分はありません。すべて自動的で人間が介入する余地はありません。誤解されたようならばお詫びします。
真萩
2017年02月04日 16:10
ホームページを訪れた際流れる曲はきみだんごさんが自動作曲システムのて作られたのですか。ホームページのテーマ曲という印象を受けます:) ラヴェルの曲は編曲をする為のものとして自動作曲システムを用いたものと認識しましたが違っていたのですね、こちらこそ失礼致しました。
数学は数Ⅲまででその後は語学に進みました。ブログの理論は大変難しそうですが、音楽と数学は共通するのでしょうか。ところで、音楽は国を問わず多岐に渡りファンです。映画や演劇のミュジカルそして能楽まで入ります。能楽の曲を自動作曲システムで作ってみたら又、新しい文化が生まれるかも知れませんね。如何でしょうか?
きみだんご
2017年02月05日 13:07
音楽と数学は共通するということでなく、音楽を扱うのに数学や記号処理が役立ちます。私も音楽は多方面に渡って好きなほうですが、能楽までは分かりません。あまり聞いたこともありません。あまり、ご期待の添えないようなのは申し訳ありません。
真萩
2017年02月06日 12:15
数学を利用して自動作曲が出来るとは以外でした。現代はボーカロイド等様々な手法によって生まれていますね。例えば日本文化の雅楽や能楽にも用いたなら(人気の度合いは別にして)素晴らしい作品が出来るのでは、と考えたりもしました。新しい事を進めるのはそれが仮に上手くいかなかったとしても色々な意味で影響力を持ち、受け手の判断や好みによっても良いか悪いかが決まるのではないでしょうか。芸術って受け手によって価値があるかないかが決まる場合が多いですものね。多岐にわたる音楽を聴いておられるきみだんご様、自動作曲を用いて型破りな音楽を作られましたならどのような音作りをされるのかしら、と思いました。
きみだんご
2017年02月08日 09:57
数学だけでなく、領域固有の知識や記号論をどう結びつけるかが大切ですね。また、いつかチャレンジする気持ちが起きるのを期待しています。今は気力がありません。
きみだんご
2017年02月13日 16:15
真萩さん、読んで下さりありがとうございます。音楽は大好きですが、私には音楽的才能はありません。音楽への愛が、こんな音楽表現形式をとらせたのでしょうね。人に認められなくても、音楽の神様は微笑んでくれていると思います。音感もなく、ピアノをバリバリ弾いたりすることもできませんが、愛する対象(音楽)を研究しまとめるのは楽しいことでした。自動作曲ができるということは音楽の本質をうまく捉えられたことの証拠かも知れませんね。それだけでも満足しています。
きみだんご
2017年02月15日 02:07
真萩さんへ
ご依頼のあったコメントは削除しておきました。気になさらないで下さいね。
真萩
2017年02月15日 20:22
ご親切に本当にありがとうございます。ブエノスアイレスまで行かずにすみました。
きみだんご
2017年02月16日 16:22
東芝が東証2部に降格されましたね。私がいた頃は「天下の東芝」と言われましたが、なにか憐れですね。私も一緒に落ちぶれたもんです。情けないですね。
真萩
2017年02月17日 12:56
きみだんごさん、こんにちは。
平家物語にもありますように時代(企業も、個人も)の流れは「栄枯盛衰」と考えます。個人を観ましても人生はあざなえる縄の如しと言われ、なった縄はねじれて陰になった部分があるからこそ表面が陽に照らされて鮮やかに見える。「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」とあり、これは人生の真髄のひとつに思えます。会社を支えてこられた社員の方々と東芝の衰退も同様に考えて止みませんし日本人としても同情しています。そしてもののあわれを感じずにはいられません。勝ち組、負け組みというけれど何をもってそう考え決めなければならないのでしょうか。変化にとんだ時流の中で適応しながら生きていくのは極めて難しいし、運が作用する事もあると思います。だから、ひとの人生はひと言では決められないと思います。ましてや本人自身の人生観もあるのですから・・・。従って自分自身の価値は自らが決めるものだと考えます。ゆえに末期の際に「これで良かったのだ」と思えれば最高だと思うのです。いかが思われますか? 東芝の社員の方々もいつかはきっと盛り返してくる筈です。堂々と生きてほしいものです、念ずれば花開く。一時会社を支えてこられたきみだんごさんの努力が報われるといいですね。
きみだんご
2017年02月17日 18:06
文章だけ見ると真萩さんが男性だか女性だか分からなくなります。東芝みたいに公共的な仕事をしている民間企業は割りに合わない気がしますね。儲けるだけの仕事だけではありませんからね。今回の事態に至ったのも東芝がいかに公共的な仕事をしていたかの証拠なのでしょうね。私もGIS用の避雷器素子を開発していましたのでほんの少しは無停電社会に貢献したのではないかと妄想を抱いています。社会が必要とする技術を持つ東芝がなくなることはないでしょうが、これから大変でしょうね。
「悔いのない人生」を送れることは理想ですね。いままでの人生に悔いがないと言えば嘘になりますが、幸い歳をとると欲もなくなってきて、記憶も曖昧になり、そんなことも忘れてしまいます。私に残っているのは旺盛な知識欲でしょうかね。毎日、読書を楽しんでいます。ひとつでも知らなかったことに出会えてそれを知ることができたらなら、その日は満足ですね。こういう日々を重ねて、末期に「これで良かったのだ」と思えれば、私もそれで最高です。人によって求めるものは違うのでしょうがね。
私は哲学者タイプらしくあらゆることに興味を持っています。音楽はやり尽くした観があるので、最近は人工知能、自然科学全般、哲学、数学などに興味が戻りました。音楽も人工知能の応用でした。知識を集大成して、人工知能で何かシステムを作ってみたいですね。
真萩
2017年02月18日 18:58
こんばんは、お堅いお話しになりますと、どーしてもおかたい物言いになってしまいます。どうか悪しからず。
きみだんご
2017年02月19日 09:18
どうか気になさらないでください。真萩さんがコメントしてくれるようになってから寂しさが和らぎ元気が出てきました。夢か現実か分からないのですが、真萩さんの声が聞こえたような気がしました。真萩さんは映画がお好きですか。私はDVDを沢山所有していますが、全て鑑賞している時間がありません。「草原の輝き」というDVDも所有していることが分かったので鑑賞してみようと思います。真萩さんはロマンティストのようですね。私もそうかな。いずれにしても、負担にならない範囲でこれからも宜しく願いますね。今日はこれから教会に行くつもりです。私によくしてくれるのは真萩さんと教会の人たちだけです。少ない人間関係を大事にしたいと思っています。
真萩
2017年02月23日 12:50
こんにちは、
さて、映画鑑賞はとても好きです。欧米人の生活、文化、思考等を、楽しみながら知る事も出来ますね。「愛と宿命の泉」「愛情物語」「ひまわり」「OO7」「赤穂浪士/大佛次郎原作1961年東映」そして戦争映画も随分観てきました。生死を分ける緊迫する環境の中で人命や家族や愛する人への愛惜、愛憐が描かれており、演技者に漂う微妙な表情を垣間見、ウルウルしながら観賞したりもして生きる事や愛する事の意味を再確認させてくれます。
きみだんごさんはクリスチャンなのですね。私は仏教徒です。先祖は士族で禅宗です。余談ですが、祖父は嫡男ではありませんので結婚の時には実家を出なければなりませんでした。その際、母親(私の曾祖母)からなぎなたを形見に貰い、私の父が受け継ぎました。それが、私の実家の襖の鴨居の上にかかげてあり、襖を開けて奥の部屋に行く時にはその下を通らなければならず何度通っても緊張致しました。元に戻って一、正法眼蔵随聞記/水野弥穂子訳を
読みますと私の思い込みかも知れませんが聖書のマタイ伝
には同じような教えが説かれています。多分異宗教であっても人の基本的な有り様としての教えは共通するところがあるのでしょうね。聖書の教えで特に感じ入ったところはなんですか?
きみだんご
2017年02月23日 16:51
聖書で一番印象に残る言葉は、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)ですね。私が宗教に初めて触れたのは、東芝在職中に年上の同僚から、バグワン・シュリ・ラジニーシというインド人の講和集「般若心経」を借りた時からです。私は洗礼を受けておらず正式のクリスチャンではありません。本当は何教ということもないのです。仏教の本もかなり読んでおり、特に禅宗は好きです。一般向け仏教の書籍、無門関、臨在録、正法眼蔵の解説書やら原典、諸経典では岩波文庫の原典なども持っております。本当は仏教のほうが詳しいかもしれません。聖書も旧約聖書などになると難解でよく分からないところが多いです。解説書も少ないです。禅宗では、いざとなったとき、自分の心が頼りになれば、最も心強いと考えますが、キリスト教では、全てを神に帰するところがありますね。しかし、個々の教えでは、共通点は多いでしょうね。モーゼの10戒も仏教の5戒(10戒)も共通点が多いですね。
私は宗教ばかりでなく、老荘や論語などの東洋思想、西洋哲学思想などにも興味があります。キリスト教神学では、哲学や現代思想を扱った本もあるので勉強中です。全く暇人の乱読で、私みたいのは何教徒にもなれないのかも知れませんね。うまくまとまりませんでしたが、このへんで。
真萩
2017年02月23日 19:00
まだ洗礼をお受けになっていなかったのですね。失礼致しました。禅宗は女性の私にとりましては、少々厳しく感じられます。宗教はたおやかで安らぎを与えてくれる教えと望みたいのですが、常に刀を付帯していた武士にあっては
自らを厳しく律して質実剛健の教えでなくてはならなかったのね。けれど、法然や親鸞の説く「南無阿弥陀仏(阿弥陀様に帰依します)」と言う教えもありますが、なかなか難しいわ。古来からある神教がどういうものか学んでみようと思います。
きみだんご
2017年02月24日 09:46
たおやかさや安らぎは私にとっても憧れですね。でも宗教だけでそれは得られるでしょうか。映画や音楽の鑑賞、人とのふれあいを通して、神は間接的に現れるのではないでしょうか。神と実存(人間)との交わりを感覚的に捉えることはできません。信じる信じないと言っても、それはこちら側の問題ではなく、全ては神の思し召しであり、全てを任せて明け渡せば、安らぎは得られると思うのですが、言うは安く、行うは難いことかも知れませんね。また、難しい話になりましたが、私の求めているものはもっと単純なことなのですがね。教会に行くのにも、真萩さんとのつかのまのふれあいにも、ささやかな安らぎを感じています。感謝しています。真萩さんの上にも恵みと平安がありますように。
真萩
2017年02月25日 18:56
ブログを通じて間もない私ですのにお祈り下さり有り難うございます。とても嬉しいです。宗教や文化的なものや人との出会いは安らぎをもたらしますね。神が間接的に現れるというのはこれらの出会いは神の思し召し(仏教ではご縁といいますが)と仰るのですね。私も同様に考えています。総じて人々が根本的には、母性がいとし子の顔を愛に満ちた眼差しを向けながら胸に抱くような真の愛を究極的に求めているのは周知のとおりです。私の求めているものは極めて常識的でシンプルなものですが・・。きみだんごさんの求めている単純なこととはどのようなものですか?いつかお教え下さいね。宿題にしましょう。
きみだんご
2017年03月07日 09:53
私の求めているのはきっと真萩さんと同じです。
真萩
2017年02月24日 12:29
こんにちは、19日から風邪を引き高熱と頭痛に悩み臥していました。
サミエル・ウルマンの詩「青春」の中に青春とは人生のある時期をいうのではなく心の様相をいい、歳を重ねるだけでは人は老いない。理想を、情熱を失う時に精神はしぼみ若さを失う、と述べています。この詩に出会った時は大変感動し人生観に大きな影響を受けました。年齢を重ねても何時だって“青春≒春”は訪れるのですね。きみだんごさんもそう考えて下さいませんか。ご自身の過去のブログでは自然や木々の美しさを讃え、感動する新鮮なお気持ちを述べていらしたのですから“人生の冬”などはまだ到来してはいない筈です。神の、冬が去った後には美しい春の日が間違いなくやって来るように創られた、を信じて、生きている限り出会う喜怒哀楽を(例え苦難があったとしてもその中に楽しみを見出しながら)楽しんで生きたいものですね。当地は梅の花が芳ばしく桜はこれからです。多才に恵まれたきみだんご様、啓発されます。これからもブログを続けて下さいね、どうぞ宜しく。
きみだんご
2017年02月24日 17:52
風邪はよくなられましたか。宇都宮は内陸ですから冬は寒いでしょう。こちら横浜の端っこの鶴見は沿岸地帯で冬は暖かく夏は比較的涼しく過ごしやすいです。
日光に二回、鬼怒川温泉に一回行ったことがあります。日光の一回目は小学校の修学旅行でした。子供の頃が懐かしいです。
大学では化学を専攻しましたが、本当は物理か数学を勉強したかったのです。社会に出て、材料科学と電気工学と人工知能関連の仕事をしたため、物理や数学から遠ざかっていたのですが、最近、数学や物理の本を読むようになりました。数学などはこの歳ではもう無理かと思っっていたのですが、これが不思議なことに、若いときよりも、よく分かるのです。本の読み方が変わったようです。昔は細かいところに拘った読書の仕方でしたが、最近は大局的に見て何が言いたいのかを読み取るような読書の仕方になりました。細かいことは分からずとも気にせずに全体として何が書かれているか注意するようになりました。これは効果があります。
私には理想、情熱というよりも夢があります。数学や物理の勉強をし直すことです。放送大学などにも興味を持っています。夢を実現したいと思います。
真萩さんも、ご自分のことを大切にしてご自愛下さいね。私は絶望している訳ではありませんから、安心されて、楽しくやっていきましょう。きっと、身近な人たちには愛情細やかな方なのでしょうね。こんな遠くの人間に親切なのですから。
真萩さん、くれぐれもご自愛をお忘れなく。ブログは続けますから、これからも宜しくお願いしますね。
真萩
2017年02月26日 14:43
滅多に風邪など引きませんのに10年ぶり位に罹ってしまいました。ご心配を頂き恐縮と共に心からお礼申し上げます。もう治りましたので、以後気をつけてまいります。確かに宇都宮の冬は寒いのですが、暖房の効いていない部屋に移動しますと空気が乾燥し、シンとして落ち着きが感じられて緊張感を受け時には良いものです。
世界遺産の日光は、東照宮のみならず周囲の森や林や湖等美しい自然に恵まれています。秋の紅葉に加えて5月の新緑の頃には濃淡の木々の葉をくぐって行くと、いくつもの
美しい滝が見られます。しかも流れ落ちる水の音が幽玄な世界へと誘ってくれるような気配が感じられます。是非訪れてみて下さいませ。私は英米文学を専攻しましたので、物理や数学の世界は程遠く難しいとしか思えませんが、確かに歳を重ねてから理解できたと言う事はありますね。それは、年齢を経、経験を重ねた結果の賜物なのでしょう。
けれどいささか残念な気も致します。学生時代でしたなら良いお点が取れましたのにね^^
マクドナルドの創始者はいろいろな事業を手がけた結果遂にとうとう50代で成功を治めたそうです。こういう人の伝記って勇気づけられますね。終生夢を持ち続けサイの如く実現に向けて進んで行くって素晴らしいですね。きみだんごさんも夢が叶うといいですね。無理をせずにガンバッテ下さい。遥か彼方から応援しています。
きみだんご
2017年02月27日 05:21
風邪がよくなってよかったですね。自然に囲まれた生活をしておられるようで羨ましいです。いつか日光の自然をじっくりと味わいたいですね。両親は山よりも海が好きでしたので、子供の頃から、よく伊豆方面に連れて行ってくれました。車の免許を取ってからは、国道143号線を通って逗子から片瀬江ノ島まで、海岸線をドライブするのが好きでした。山もいいですが海も開放的でいいですね。
真萩さんの文章を読むと古典を引用されたりと日本文学が専門かと思っていました。英米文学とは意外でした。真萩さんの文章からは古風で日本的な雰囲気が感じられます。
昨日は、教会で聖日礼拝を終えてから男同士で会合を開きました。物理が好きな人がいて本の交換などをしています。ヒッグス粒子に関する本を貸してもらいました。
70代の人も出席しましたが、健康には気をつけなければならないと思いました。30種類も薬を飲んでいるとのことでした。私は毎日午前中には自転車に乗ったり歩き回ったりすることが効いているのか、体の病気は何もありません。頭を使うことも健康の秘訣だと思います。人間の脳は身体の活動も司っているので脳が衰えると病気になるのではないかと思っています。とにかく頭も体もよく動かすというのが私の健康法です。効果はあるようですよ。真萩さんの健康をお祈りします。とにかく頭と体を動かすことです。健康第一です。健康を損なったら夢もなにもありませんからね。
真萩
2017年03月01日 13:59
健康についてご心配を頂きまして、又、アドバイスも頂戴しご親切に重ね重ね有り難うございます。
よく英米文学や日本文学を愛読しますが、特に日本の古典は和歌も加わり、微妙な表現をする為の日本語の語彙が豊富なので詳細に伝わって感動してしまいます。そして、日本の伝統文化の茶道や生け花を嗜んできましたので多分そういう環境での所作が文章にも表れて古風に映るのかもしれませんね。
これからウオーキングにまいります。丁度折り返し地点にはツタヤがあり、店内にはタリーズコーヒがあって時にはそこで新刊本を探したりお茶をしてユーターンします。
楽しみを見つけながら・・・の私です。
きみだんご
2017年03月02日 13:18
高校時代から小林秀雄の著書をよく読みました。彼の文章には古典からの引用が多く、古文や漢文を含み、しばしば受験問題に出題されていたこともあって、私の世代では受験の神様と呼ばれていました。彼の「西行」、「実朝」といった有名な文章には和歌が散りばめられています。私も和歌が好きです。万葉集よりも古今和歌集、新古今和歌集などのほうが好みです。徒然草や平家物語もよく読みました。英米では、サリンジャー、モーム、O・ヘンリーなどが好きですかね。
茶道とか生花とは、私には縁がないせいか、恐れ多い世界ですね。
今日あるところで、SFアニメ映画「時をかける少女」を観ました。高校を舞台にした時を越えた恋の物語で、甘酸っぱく切ない映画でした。年老いたと泣き言を言う私にも、青春時代の胸キュンとした感情が残っていることを示してくれるような映画でした。真萩さんも機会がありましたら是非ツタヤで借りて観て頂けたらと思います。
真萩
2017年03月07日 13:16
こんにちは、先日は鬼の(鬼にはなりたくはありませんが)かく乱の如く10年以上も罹らなかった風邪を引いてしまい治った直後、今度は例年の如く花粉症が到来し日光の杉山や杉並木の花粉に遭いまみれ、Ufu・・・鼻水やくしゃみでヘトヘトに疲れてしまいました。処方された薬と栄養ドリンク剤でやっと回復してきましたので早速「時をかける~」を観ました。 青春ってウブで一直線で、その姿をマコトを通じて如実に表現していますね。観ていますとはらはらしてしまいます。BGMのバロック調の曲や、クレジットに流れるビートルズのレット・イット・ビーのイントロらしき曲を聴きながら昔を懐かしみました。ご紹介有り難うございます。
私の青春映画は、“O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo?” 1968年作 ジュリエット役オリビア・ハッセーです。私のロミオは今どこで何をしているのかしら等と、将来への思いを廻らし期待しながら観たものです。しかもこの映画がきっかけでシェークスピア文学を愛読するようになりました。そしてシャーロット・ブロンテ著の「ジェーン・エア」も愛読書のひとつです。孤児のジェーンが成長するに従い、控えめながらも人を助ける女性になっていくところが魅力的で、日本の大和なでしこのような女性に通じるところが素敵でした。イギリスは政治的にも非常に底力のあるお国柄の印象を受けますが、文学にもどっしりとした内容の作品の印象が強く感じられます。きみだんがさんはどう感じられますか。
又、小学生時代からシェークスピアを読ませる教育をしており、その影響からかしら、質実剛健の精神が浸透しているようにも見受けられます。
では、これから、小林秀雄の「西行」「実朝」を読んでまいります。楽しみにしています。
きみだんご
2017年03月07日 16:35
BGMのバロック調の曲はバッハのゴールドベルク変奏曲ではなかったかと思います。私も印象に残りました。瞑想的でしかも少し甘美でよかったですね。
シェークスピアは丁度全作品の新訳を手に入れたところです。ハムレットをまず読みました。名科白とオフィーリアの哀れなところが涙を誘いました。ロミオとジュリエットも哀しい物語ですね。世界恋愛悲劇の代表的傑作ですね。他の作品も読んでみます。野暮な化学屋の私は文学には詳しくないのですが、ハムレットなどは訳が優れているのか、読んでいて気持ちがいいですね。東大教授の河合祥一郎という人の訳です。もちろん原作がしかっりとしているからでしょう。
真萩さんは本当は厳しいところがあるのかも知れませんね。私の母も中学まではスパルタ教育で塾に行かされるなど厳しい母親でしたが、高校に入ると、打って変わって自由放任の優しい母に豹変してしまいました。質実剛健というとカッコヨイですが、私もそこまで行かずとも随分と質素な生活をしていると思います。食生活も質素ですが、それで病気にならないのかも知れません。金のかからない男です。
小林秀雄は儒学とか武士道に詳しいから真萩さんの好みに合うかも知れません。私も西行と実朝を読み直してみようかな。
真萩
2017年03月09日 19:40
バッハのゴールドベルグ変奏曲、知りませんでした。良い曲したね。きみだんごさん、何でもご存知なのですね。
ロミオとジュリエットは出会った瞬間に恋に落ち、その後
ロミオは仮死状態のジュリエットを本当に死んでしまったと思い、ジュリエットを追って自ら命を絶ってしまった。
又、オセロはイアーゴの計略にかかり、挙句、妻のデズデモーナのありもしない不貞を疑って殺害し、終に自らも命
を絶ってしまう場面が繰り広げられますね。愛と(純愛、深愛)死は背中合わせなのだと、その深い感情と情念を知った青春時代でした。
質実剛健は、ねばならないと考える機会が結構あり、自分を否定してでもそうしなければならない時があるように思います。唯、社会全体がそうしなくてもいいように文化的にも発展していればもっと楽になるとは思いますが・・。
それを否定はしないけれど、私は自分を窮屈にせずに個人の意思を尊重しながら公平公正にすればいいのではと思い
ます。
ご紹介頂いた西行と実朝を読みました。二人の生きた時代背景と寄って立つ所を深く理解し、温かい眼差しで虚飾無く評論しており感動しました。しかも、実朝がどれほどの苦労を負って時代を生きたかを知る事も出来ましたので有難いと同時に胸が痛みました。ご紹介下さり感謝しています。
きみだんごさんにとってお優しいお母様に変わられたのは、きっと、本当はいつでもやさしい母でいたかったからなのではありませんか? 質素な生活をされてご病気にも
ならずお金のかからない生活は確かに素敵な事かもしれませんね。けれどもたまには何かの折にはご自分にご褒美を
差し上げて下さいね:)
きみだんご
2017年03月10日 10:00
深い愛に落ちると人間は己を見失ってしまうのでしょうね。シェークスピアの世界ですね。少し怖いですね。私は独身だからそんな深い愛に落ちたことはありませんし、精神的に幼いせいかマコトのような淡い恋にまだ憧れてしまいます。30代の頃、結婚相談所に入って、なんとなく出合って、何となく別れる、ということを繰り返していた時期があります。でも楽しかった時もあって、なんとなく懐かしいですね。それきり女性には縁がありません。このまま飄々と寅さんみたいな人生を歩むのかな。
質実剛健とは飾り気がなく真面目で、強くしかっりしていることと辞書にあります。私にも当てはまるところがありますかね。泣き言を言っても、私は意外と強くしっかりとしています。普通の人には耐えられない生活をしていますけど、知識欲が旺盛なせいか、本を読むなり、退屈せずに何とか生活しています。真萩さんも質実剛健のようですね。女性なのに立派ですね。
高校生になって、私が大人になったのを見極めて、母は態度を変えたのだと思います。学校の成績も良かったし自慢だったのかも知れません。どんなことがあっても母は無条件に私の味方でした。
生活は質素ですが、甘いもの好きの私は時々、スウィートを楽しんでいます。真萩さんはどんなことが楽しみですか。
真萩
2017年03月11日 21:35
お互いが純愛だからこそ命を懸けることが出来るのではありませんか? 福島原発の事故でいまだに遺体の見つからない妻を、最近までも年配にも拘わらず夫が海中に潜って行方を捜しています。相思相愛のご夫婦だったのでしょう。涙をさそいますね。恋愛に限らず、趣味やお仕事のような多方面に於いても運命的な出合いがあって一生に一度位は自らをそこに置くことが出来たならば本当に幸せだと思うのですが――。いつまでも情熱や夢を持ち続けたいものですね。
ところで、きみだんごさんのお好きなものはよーく知っています。だってニックネームからして・・・(笑) ずぼしでしょ? 私はつい最近まで好物のお蕎麦の食べ歩きをしていました。日光市と合併した今市市は美味しい蕎麦が採れます。信州、出雲、北海道方面の物も美味しいですが、私としましては、掛け値なしに日本一美味しいと思いました。日光にいらした際は是非堪能して下さいませ。
明日は動画を観ます。宜しかったらどうぞ。
三国志01 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x4uhibr_%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97-01_tv
きみだんご
2017年03月12日 06:46
怨憎会苦・愛別離苦と言われ人間関係はままならないものですが、出会いは大切にしなければなりませんね。一期一会の気持ちですね。確か一期一会とは茶道の心得からきたものですよね。私は若いころに出会いとか人間関係を大切にしなかったため、今になって後悔しています。これも歳を重ねないと分からないことで後悔先に立たずになってしまいました。若い人たちには出会いや人間関係を大事にして欲しいですね。こんな私にも運命的な出会いはありました。それは誤解と悲劇に終わりました。
私はダンゴより、蓬餅のようなものが好きです。洋菓子も好きですよ。
蕎麦ですか。お蕎麦屋さんはいいですよね。気軽に入れますし、寛げます。蕎麦と言えば、近所に長寿庵というお蕎麦屋さんがかつてあったのですが、そこの天婦羅蕎麦とか狸蕎麦は美味しかったので記憶に残っています。どこの蕎麦だったか分かりませんが。なくなってしまったのは残念です。今井市の蕎麦は横浜でも買えるかもしれませんね。真萩さんはグルメなのですか。楽しそうですね。
三国志は高校の古典で習いました。ありがとうございます。
今日はホワイトデーですね。ここでお礼に代えさせていただきます。
真萩
2017年03月15日 16:32
こんにちは、ホワイトデー、サプライズでした。Cool!^^
『希望なきところ』によせて、 人が一番辛く苦しいのは孤独。孤独は不幸をぐんぐんと深めていき歳をとると行動範囲も狭くなり益益拍車がかかりますね。若い時は自らの目的や夢を実現する為に一目散で孤独など考えたことさえありませんでしたのに。が、孤独は人が誕生した時か負ってきた宿命のようなものと思いませんか?ではこの根源にある孤独を基から断ち解消するには自分の精神力を強化すること?愛する人や友人知人に恵まれること?文化的なものや趣味旅行娯楽に費やすこと?人によっては好みがあるかもしれませんが全部がそうとも思えます。しかし私には一つだけでいい、決定的なものがあります。なんかクイズをしているようになってしまいましたね。
ヘーゲルが“幸せになりたければ幸せになるに値する人となれ”と説きました。私はこの言葉が大好きで信じてきました。厳しい教えではあるけれど、本来はそうあるべきなのですよね。唯、世の中は理不尽にできておりそういう世界で信念を貫いて行くのは難しい。けれどヘーゲルの説を元に他を類推していくと、品物の対価にしてもその中身と値段が一致しているかどうか労働と報酬は合致しているかどうか等と、多方面の価値観についてもインスパイアさせてくれます。ですから却って現実的で素晴らしい。きみだんごさんが以前聖書のお話の中で、忍耐についてご説明されたと思いますが、乗越えていくには忍耐心が大切でそれが品格をも作るのだと。正にそのとおりですね。私は楽観的なのでしょうか。暗い気持ちで過ごすのも一生、明るい気持ちで過ごすのも一生。なら気持ち的にも後者を選ぼうと考えます。
ではまだ寒さが続きます、ご自愛下さいませ。
きみだんご
2017年03月16日 10:17
孤独も慣れるとそれほど苦痛でもなくなりますが、それでも時々大きな寂しさを感じる時がありますね。もう父母に会えないのだという考えが突然浮かんできたりして。孤独は決して否定的なものとしてだけあるのではないと思います。孤独は神の仕事場だという言葉もあります。西行も実朝も孤独だった。だから、あのように和歌を残したのでしょう。私も彼らほどでないにしても、何となく彼らの気持ちが分かるような気がします。
人生においては何事も何らかの意味があるのだと思います。孤独にも意味があり、孤独に如何に対処するか、孤独を如何に生かすかが問われているのだと思います。孤独に対処するのには忍耐が必要でしょう。それが品性を生み、やがて希望を生むということをかすかに望んでいます。
人間だれしも幸福になりたいと思うのは当然でしょう。幸福に値する人間になるのは難しいにしても、誰しもが幸福になるのは望ましいことだと思います。たとえ甘い考えだとしても。価値のない人間をも愛するのが神のアガペーです。厳しい考え方をするのも立派ですが。
孤独な私にも神様が働いておられるのを感じます。真萩さんを送ってきて下さったし、最近は教会の人たちともより親しくなりました。神様は孤独な人間を放っておかれない。そう思います。真萩さんは楽観的というより前向きな方ですね。私と反対で刺激になります。
今朝、産経新聞を買ってきました。「朝の詩」読みました。良い詩でした。私も作風を変えればなんとかなるかもしれませんが、がっかりするといけないので、あまり期待しないようにしたいと思います。
真萩
2017年03月18日 09:14
いつも自然体のきみだんご様、きっとご自分らしい表現を
つくされるのでしょう。
その時までずっと応援し続けましょう。
きみだんご
2017年03月18日 09:55
大和なでしことして、多くの人を助けてあげて下さいね、優しく賢い真萩さん!
尊敬を込めて!
真萩
2017年03月20日 13:38
こんにちは
昨年京都を訪れた折、紅葉をめでる為駅前でバスを待っていると盲目の方が杖をつきながらバス亭に向かって歩いて来られた。杖で地面の感触を探りながら間違えないようにと、その一点に集中している見えた。そのうちバスがエンジン音を鳴らしながら目の前に停車した。私はその方に乗りましょうと声をかけ、お手を取ってステップに向かった。その方は簡単ではあるけれども丁寧に軽く会釈をして下さり、私とステップに向かった。
私が、さあ一段目の階段ですよと声をかけるとその方は無言でしっかりと階段を踏み込むようにして上った。この様子は恰も健常者が登山の際に頂上を見上げ、その一点を目指してこれから踏破するのだ、というような姿勢に見えた。そして、さあ二段目ですと声をかけると又、無言で再び上った。更に私は最後の一歩ですよと声をかけると同様にして上りきった。階段を踏み外さないようにとその一点に集中している様子がしんしんと伝わってきた。上りきると運よく空席がありそこに導いて、どうぞお座り下さいと声をかけた。健常者であれば声がけなど必要ないんですね。その方は着席をされると安堵したのであろうか、本当に安心した様子でお礼を申したのであった。走行中も周囲に気を配っている様子が窺えご苦労がひしひしと伝わってきた。そのうち混雑してその方と向かい側に座っている私にはその姿が垣間見える程度になってしまった。その方が何処で下車するのか分からない。隣席の人にお願いをしておけばよかったと思いつつ私の方が先に下車した。
ああ、私なりに気遣いをしたつもりでしたが至らなかった。親切を(大げさな事ではなく単に私のシンパシイからでた行動でしたが)するのは難しい。私のような身分の者が出来ますのはこの程度の事です。
Thx.
きみだんご
2017年03月20日 16:39
相手のことを完全に知ったり、先のことを完全に予測することはできませんから、完全な親切というのは難しいと思います。どうしても中途半端な親切になりがちなのでしょうね。人に親切にするには結構勇気が要るのか、世の中が冷たいのか分かりませんが、親切な行為を見かけたり、自分からしたりといったことは最近少ないですね。よっぽどのことでなければ、無視するのが人の常でしょうが、真萩さんは立派なことをなされたと思いますよ。また別の人が、あとからその盲目の方を助けたと思います。安心して下さい。
バリアフリーが叫ばれる世の中でも、施設面を立派にしても利用する障害者の方は少ないようですね。ひきこもりがちな障害者の方が多いのでしょうね。施設面だけでなく、人々の意識を変えて、心のバリアフリー化も必要でしょうね。助けて当たり前、助けられるほうも当たり前で心理的負担がないようにする工夫はないものでしょうか。やはり、子供の頃からの教育が問題なのでしょうか。
私は勇気がなくて親切にできないタイプです。最近見かける女性のホームレスの方のことが気にかかっていますが、どうしてよいか分かりません。他の人たちも警察官も彼女を無視しています。真萩さんなら、どうしますか?
真萩
2017年03月21日 16:50
私の考えが的を得ているかどうか分かりませんが、ホームレスの女性に対して「気にしないでこれを遣って下さいね」と伝え、自分の出来る範囲内でお金を渡します。そして早速福祉事務所を訪ね、女性の存在と特に印象に残った状況を伝えてどうにかして頂けるようお願いします。
お金といいますと、偽善的に見えるかもしれませんが、心尽くしのかたちをお金に換えただけの事ですから悪いことではありませんね。人として皆が根源的にもっている優しさの気持ちがあるからこそお金を使って少しでも幸せな気持ちになってほしいと願い、あまつさえ施した方でさえも幸せな気持ちにさせて頂けるのはこちらこそ有難いことですね。
人生は一寸先は闇とブログにコメントさせて頂きましたがいつ何時お互いの立場が逆転するかも分かりません。たとえ私がそうならなかったとしても、家族や兄弟がそうなるかもしれません。ですから普段は水のような関係でも困った時には手を差し伸べていければいいと思います。
日本は弱者に冷たい国という感が否めません。不幸があると、バチがあたったのだと根拠なくいい、不幸に遭っているにも関わらず更に追い討ちをかけるような心ない人がいるのは悲しいですね。北欧から発したノーマライゼーションが本当の意味で日本にも根付く為には民度をあげなければ成らないのでしょうね。併せて、バッハやベートーベンの音楽、ダビンチやレーピンの絵画、漱石やシェークスピアの文学等いにしえから現代まで世界中から愛されてきた芸術作品は人類がずっと希求し続けてきた愛や美への憧れが内包されているからだと思うのですが。きみだんごさんはどうお考えですか?
きみだんご
2017年03月22日 09:37
古今東西の偉大な芸術作品には、絵画、文学、映画、音楽などがあると思いますが、人間のあり方について多くのことを現代人に教えてくれると思います。登場人物をロールモデルにしたり反面教師にしたりすることができるので、生きていく上で指針になりますね。音楽などでも精神を鼓舞してくれたり瞑想に誘ったり甘い夢を見させてくれるものなど多様ですね。文学などは言うまでもありません。そこには、仰るとおり、人類が希求してきた愛や美への憧れが内包されており、その憧れは私たちの内にもあり、それに共感するからこそ、私たちも感動することができるのでしょう。偉大な芸術作品を通して私たちの人格を陶冶することができると思います。それを現実に生かしていければ理想的ですね。
真萩
2017年03月27日 14:30
昨日から雨が降り花粉が舞うのが落ち着きましたので症状が和らいできました。副作用を避ける為投薬を少し控えていますのでクシャミ連発!もうクタクタです。きみだんごさんはアレルギーがないようですので幸いですね。そんなこんなでやっとブログに辿り着きました、v( ^-^)
「雨の日」によせて
ご両親の愛を一心に受けてこられ本当に幸せだったのですね。きっとご両親は真綿にくるむ様にして育てられたのでしょう。しかも昔の親御さん達は最初に男児の誕生に恵まれますと、相続人の誕生として二重の喜びになったそうです。私は最初ですが女児ですから弟と比べますと雲泥の差でした。とても寂しく辛い思いを致しました。この経験が後に深く影響して、全てに対し物事の視点を公平公正において見るという人生観に至りました。
父はいつも遠くから私を見守り、認めてくれていましたから真直ぐに成長できたのだと思いますが、特に漱石やヘッセ、A.J・クローニンの文学に導かれ励まされてきました。
深い愛情に恵まれ、それが生きていく上で必要なしっかりとした基盤になっているきみだんご様、これからは主体的に愛を注ぐ立場に向けていって下さればと祈ります。
きみだんごさんは、ひと串に3個から4個も連なっているのですから寂しくはありませんね。鬼を退治した桃太郎の活力の元は“きみ?だんご”です。サルも雉も犬もきみ?だんごのご褒美がほしいが為に家来になったのではありますまいか。Quququ・・ 拙いお話で恐縮です。
Have a good one.
きみだんご
2017年03月28日 10:13
アレルギーは辛そうですね。ご同情申し上げます。
両親は子供の頃から何不自由なく育ててくれました。両親は晩年病気がちで随分心配させられましたが、感謝しています。幼少の頃から家族親戚に可愛がられてきたせいか、晩年は孤独がちなのでしょうね。人生は公平にできているものだと思います。
真萩さんの人柄を拝見しますと、ご両親もご立派な人だったとの印象を受けます。きっと、愛情を持って、厳しく育てられたのでしょう。
教会の活動を通して、主体的に愛を注ぐ立場になれればなぁと淡い期待を持っていますが、難しそうですね。
きみだんごも寂しいですよ。誰も私を欲しがってくれません。寂しいですが、読書など何かしら活動しているので、気が紛れます。興味の対象が広いので時間が足りないほどです。
桜が咲き始めました。これからしばらく楽しみですね。花といば桜、桜はいいですね。真萩さんもお花見を楽しんでください。
真萩
2017年03月30日 19:08
お心遣い下さり有り難うございます。又、京都での障害の方が、後にはどなたかが親切に接して下さる旨お話下さり本当にホッと致しました。有り難うございました。
又、きみだんごさんが教会での活動を通じて独自の緻密な特性と才能を生かされてご活躍下さいますよう祈ります。
きみだんごさんのニックネームは多分、「君子固より窮す。小人窮すれば~」に因んでらっしゃるのではありませんか? とても高貴な印象を受けます。おだんごよりも蓬餅の方がお好きだという文面からふと気がつきました。間違っていたでしょうか?^^ 懐の深いお方のようにお見受けします。
ご存知かもしれませんが、大人の交わりは淡きこと水の如
しといいます。そして孤高の人も素晴らしいと思います。きみだんごさんはそのような生き方を選んでこられたのでしょう。孤独に強い人ほど逞しく誠実で優しい。女性であってもそうなりたいと憧れます。
これから百花繚乱の季節が始まります。華道で色々な花材を扱ってきましたが、桜は美しく技巧を凝らさずにほぼそのまま用います。京都を訪れた際は仁和寺の御室桜をめでて下さい。はんなりした色香が美しいのです。
「とはずがたり」で、後深草院二条が西行に憧れて後年、諸国を見聞するのですが、同じように私の将来の夢であり実現したいと願っています。
何処の何方も同じ気持ちになって素直に桜をめでるのでしょうね。お花見を楽しみましょう。
きみだんご
2017年03月31日 06:07
私は真萩さんが思われるほど立派な人間ではありませんよ。恥ずかしくなります。
しかし、人には誠実で優しく、自分には厳しく、というのは理想です。「君子の交わりは淡きこと水の如し」「君子固より窮す」「小人閑居して不善をなす」などは好きな言葉ですが、君子ならざる小人の私にはあくまで理想と戒めですね。
仁和寺の御室桜ですか。観てみたいですね。さぞ風情があるのでしょう。後深草院二条のお話は、真萩さんの教養を感じさせます。夢が叶うといいですね。
私も近所の桜の名所を巡って、写真を撮ってみようと思っています。しかし、写真に写った桜は散らないから風情がないでしょうかね。桜を愛でるのは日本人なら皆同じ気持ちです。楽しみましょう。
真萩
2017年04月02日 05:53
こんにちは、夢を応援して下さり有り難うございます。益益その気になってまいりました:)
ブログでお好きな数学と物理を改めて勉強されていらっしゃると窺いました。今は理数離れの学生が多くなり残念ですね。問題を解きたいのだけれど、どうしても解けなくて、もがき苦しんでいる学生にとっては、指導を受け正解出来る事はこの上なく嬉しい事です。私は度々そのような生徒にめぐり会いました。冥利に尽きるというのでしょうか、感慨深いものがありました。
お節介で僭越かも知れませんが、才能を是非若い学生たちに生かし救ってほしいと願います。向き不向きがありますから大袈裟にお考えにならずにいただければと思います。
 青空と ピンク色の桜花は見事なハーモニー
 ライトに照らされた 夜空の優美で艶かしい夜桜が・・
 風に吹かれて 儚く散るのは舞い桜
 散り落ちて 川面いちめんを埋め尽くす
 行く先も見えぬ旅路に
  水の流れに添いながらたゆたう桜花
桜のお写真が思い出の一片になるといいですね。
きみだんご
2017年04月02日 13:27
個人的に思うのですが、理数系の学問は、文学や社会科学や哲学などと比べてみて面白くないし、世の中は文系が多く、理系は恵まれない立場なので理数離れが進むのだと思います。私は人工知能という学際領域の仕事をしていたので、文系の学問にも通じていなければなりませんでした。学問は理系だけでも寂しいし、文系だけでも寂しいというのが本音ですね。まぁガリ勉の戯言ですが、未だに受験生気分が抜けず勉強していて飽きません。教員資格がないので、私には教えることはできませんが、学ぶことの楽しさならよく分かっているつもりです。それを伝えるのは結構難しいかも知れません。
散る定めの桜。しかも、散った後の行方も知らぬ桜花の余韻ある趣の詩ですね。私たち人間の運命もまた同じ。まだ美しいうちに散ろうとして散り急ぐ桜に共感するのが日本人の感性なのでしょうね。
近所でも桜が咲き始めました。少し写真も撮りました。まだ満開ではないですが、入学進学と桜の季節は希望に満ちていていいですね。
真萩
2017年04月06日 20:46
こんにちは 
理数系は人類を進化させ文明を発展させる学問として非常に重要な位置にあると思います。
コツコツと研究を重ね新発見をしたりして、一生を研究に捧げていくのは並大抵の心構えでは成らず、最終的にはこの分野が好きだという思い、情熱に尽きると思うのですが。経験からですが、研究をされているの方々の仕事ぶりを拝見しますとその真摯な姿勢に胸をうたれます。
企業では技術者が(研究者も)開発業務に携り営業職がその
製品を販売しますね。無から有を生み出すのは大変難しいと思いましたが、営業職がもてはやされてきました。けれども現在では技術者に重きをおくよう言われ始めてきました。営業職がなければ販売できないのは当然ですが、新製品がなければ売りたくても売れないのも当たり前。双方の力で成り立っている筈なのにもっと早く気がついて頂きたかったですね。このような事情も理数離れの一因かも知れませんね。
少数であっても、人の行く裏道に花の山、という訳にはいかないのでしょうか・・、残念です。
私は文系ですから上記に理解を示す他ありません。仰るとおり教育の現場で学ぶ楽しさを教えて行ければいいのでしょうね。補足ですが社会科にしても単に年代を暗記するのではなく、黒船が来航した時に吉田松陰は外国を見聞してみたいと言ってペリーに乗船させてほしいと願ったけれど聞き入れられず念願を果たせなかった。坂本竜馬は黒船来航をみてこれから日本は変わると考えた。等等の説明がなされると歴史への興味がどんどん湧いて楽しく学習できる筈でしょう。
子供は常に新しい事を求めており教師はそれに応えてやらねばならない。そして子供の話をよく聞く事が私のモットーでした。
ところで、桜のナイスショットをたくさん撮れましたか? 機会がありましたら拝見させて下さい。
きみだんご
2017年04月08日 08:43
企業は組織で動きますから、企業の要請に個々の従業員がいかに答えるかで待遇は変わってきます。いくら個人的資質に優れていても、企業の期待に答えなければ、陽の目を見ないことになります。技術職であっても営業職であっても、恵まれる恵まれないは、いかに企業の期待に答えられるかにかかっています。技術職の場合、単に製品を売るだけではないので、企業の要求に合った製品を開発したかどうかの評価が難しいのだと思います。自分が良いと思ったものを開発したのでは問題にならず、社会や企業の要求に見合ったものを開発しなければ評価されません。自分がよいと思ったものを開発するのは容易でしょうが、それが社会や企業の要求するものとは限らないところが難しいところですね。場合によっては独りよがりに終わってしまいます。
教育には経験がないのですが、子供は好奇心に満ちていて、どんな新しい知識にも喜ぶのでしょうね。その好奇心がどんなものか知るために、子供の話をよく聞くことも大切なのでしょうね。押し付けではないことが大切なのですね。
真萩
2017年04月27日 17:36
「努力」によせて
おっとりした私だけれど若い頃は成功した事もそうでない事も色々あったわ。無垢で純粋な若さゆえ一途に歩む。もっと上を目指してと再チャレンジするエネルギーもあった。そして、それに伴う幸福感で満たされた。
年齢を経ると過去の経験と色々な積み重ねから得たエッセンスで残りの人生(あまり使いたくはない言葉ですが)を過ごす事になるのね・・・。けれどこれは神様が与えて下さった休養と言えなくもないでしょう? 
理不尽にみちた世の中で「努力」してここまで生きてこられたのは幸運だと思いたいわ。神様に感謝。そう思いませんか?
この辺で一寸小咄を 一日は長い、一年は短いとは。
きみだんごさんの素晴らしい文学的表現を科学的に考察しますと、歳をとると「下り坂」と言ったりします。
一年が短いのは若い頃よりもふっくらした体型は重力が更に加わりその上、慣性の法則に従い、下り坂を転げるようにして過ぎ加速度がついて短くなるのです (*^-^)
間違っていたらお許しあれ~
きみだんご
2017年04月28日 15:51
真萩さん、お久しぶりです。お元気でしたか?
何事も神様が与えて下さった恵みなのだと思います。若い頃の辛かったことも今となれば懐かしい人生の一コマです。残りの人生というと確かに語感が悪いですが、これも神様からの賜物であり恵みであると思い、最善のことしかなさらない神様を信頼していれば、平安が得られ、幸せで落ち着いた気分に浸れます。そう思いませんか?
もしも、一日が千年のように思えたら、もう明日死んでも悔いはないのではないでしょうか。一日が長いと感じるのは退屈だからとばかりとは言えないような気がします。これも心の修養の結果得られるのではないでしょうか。更に行って、一瞬が永遠に思えたら?
面白い小咄ですね。真面目な話、若い頃より、体重が10Kgくらいオーバーしてます。運動しているのですが、甘いものを食べてしまうので、体重はほとんど変わりません。10Kgは痩せたいですね。そうすれば一年が少しは長くなるかも知れません。
真萩
2017年05月03日 14:21
こんにちは、花粉も飛来しなくなり元気に過ごしております。
神様を信頼する事は確かに心の平安が得られますね。信じる事は大きな支えになるのでしょう。唯、信じる心という
魂のようなような存在を内観しますと、自分自身を信じられるからこそ神様を信頼できるのでは、と思います。
一日が千年のように思えたなら、神わざをもって過ごすしかなく、生身の人間が成せる業なの?! こうなりますと
Fly me to the moon,my God.. 宇宙に旅立って地球から見ていた星を巡ってみたいと願います。そして更に行って一瞬が永遠に思えたなら。難しいご質問だわ~。光速よりも音速よりも速い、一瞬のまばたきのようなものなのでしょう? U-nn
神通力を頼みとして愛する人達に来世での永遠の巡りあいを誓いながら宇宙に旅立ちます。
小咄のふろく 10キロ減量されますと一年が少しは長くなるかもしれませんが同時に、一日も更に長くなるでしょう、難しいところですね(^^) 連休を楽しんで下さい。
きみだんご
2017年05月08日 18:05
米国では、キリストの教えはただ弱い人々、臆病者、神経症の人々、何か支えを必要とするような人々のためのものだと言われることがあるそうです。一理あると思います。パウロは聖書の中で、自分が誇るものがあるとすれば、自分の弱さを誇ると言っています。自分自身を信じられるとは強い証拠だと思いますが、宗教は弱い人々が絶対者にすがるような側面があると思いませんか。私個人はキリスト教は少し女々しいところがあるように思うのですが。仏教のほうが凛々しいですね。
真萩
2017年05月10日 16:24
仰るとおり宗教は弱い人々が絶対者にすがるような側面があると思います。病に苦しんだり、心がくじけそうになったり、他者から迫害を受けたなど、苦境の淵に立たされた時のよすがとしてあるのでしょう。これこそ宗教の真実なのだと思います。仏教もキリスト教もイスラム教もあらゆる宗教において、人々の神に願い祈る姿はどなたも皆同じ姿で祈っている。宗教って世界中の人々の心をひとつの姿に導く事が出来るのですね。これってスゴイことですね。
又、自分が選んだ宗教に帰依しようとするのは、自分自身の考えを信頼できなければ、あらゆる宗教の中でひとつの宗教を選択出来る筈がないのではないでしょうか。つまり自分自身を信じられなければ、他者である神様の教えさえも信じられないと思うのです。自分の思考で選び、帰依した神様だからその御心に添って行けるのだと考えます。人間ってちょっとしたことでつまずいたり失礼をしてしまったりして・・・、弱く頼りない生き物なのですね。その上、理不尽な世の中で生きていかなければならず艱難辛苦をかかえています。ですから、自分が信頼する神様をよりどころとし平安に導いて頂けるのは有難く、謹んで感謝していきたいと思います。
キリスト教の聖書は論理的でわかりやすく書かれており、現実的で親しみがもてます。遠い昔、欧米の子供達の学校の教科書に聖書を用いたのは素晴らしいと思います。この影響かどうか分かりませんが、キリスト教の人々の精神には国土を越えて聖書の教えによって根底のところで繋がっているところがあるような印象を受け、羨ましいと感じたりもします。
真萩
2017年05月11日 18:32
きみだんごさんの5/8付け最下段のキリスト教についてのご意見について、どの点についてそのようにお考えなのですか? 以外でした。
よろしかったら説明して下さいませんか。
きみだんご
2017年05月12日 10:03
キリスト教では、行いによるのではなく、信仰によって義と見なされるという考え方が、まず始めに来るので、人間の善行や努力へのインセンティヴに欠けるところがあると思うのです。判断基準も善悪ではなく罪と義になります。もちろん、良い行いをすることも説かれますが、救いとは別の話になります。また、信仰をはじめ全てを神の思し召しや恵みと見なしますから、個人の努力や善行の入り込む余地がなくなります。私個人は正式なクリスチャンではないので、個人の努力や善行による義認も認めたいところなのです。そうでないと善いことをする人が現れません。
真萩
2017年05月12日 20:18
お返事下さり有り難うございます。私は聖書を読む程度で詳しくは知りませんが、いち市民として普通に生き、時には善行を積むこともあれば自然に天国に召され、しかし、他人に悪行を働けば地獄に落ちると単に認識していました。悪行を働いて人を傷つければ必ず報いがきます。ご存知かと思いますがそれを仏教では因果応報といわれていますね。キリスト教も仏教も救い導く宗教だと思います、どうか信じて生きましょう。
きみだんご
2017年07月05日 09:28
残念ながらキリスト教は全ての人が救われるとは教えないのです。善行も条件とはならないし、信仰による義を説きますが、信仰も神様が特定の人に与える恵みで、救われる人は選ばれた人で決められていると説くのです。人間の努力は一切報われません。全て神が決めることなのです。私も少しショックを受けていますが。
真萩
2017年07月18日 15:42
暑中お見舞い申し上げます。
ご無沙汰しています。暑い日が続きますがお元気でいらっしゃいますか?
私はもうすぐ関西方面に転居する予定です。今はその荷作りの真っ最中です。暑さの為疲労感がつのります、トホホ。転居してからはあちらの慣習を覚え、言葉を学ぶ事も楽しみのひとつです。お寺が多く仏教に親しむ機会が多くなると思います。
ところで、九品九生ってご存知ですか。私が一生を終える時にはどれに当てはまるのかと思いをめぐらすのも意味が深い。きみだんごさんはいずれに当てはまるのかしら・・。
きみだんご
2017年07月19日 09:50
真萩さん、お久しぶりです。私のほうはお陰様で元気です。部屋の中でエアコンをかけて何とか凌いでいます。
関西ですか。最初は大変であようが、お元気で頑張って下さいね。
私は中品下生ですかね。父母両親に孝行し養い、世間に仁義して慈しみ行う者。臨終の時に阿弥陀仏の本願や国土の楽を知り、往生した後に勢至菩薩や観世音菩薩から教法を聞いて、1小劫の後に阿羅漢となるという。
悪人ではないでしょうが、そんなに良いこともしていませんからね。真萩さんはどうですか?
真萩
2017年08月15日 23:57
こんにちは、ご無沙汰しています。お元気でいらっしゃいますか?
私は引越し当日、新幹線で京都駅のホームに降り立った際は一瞬お風呂に浸かったような暑さに一瞬めまいがしてしまいました。関東地方とは異なり、今月10日頃までの気温が35度から37度ありました。京都の人々は正にこのような環境の中で日本の文化を育み残してきたのですね、感謝しています。猛暑の京都でも外国人観光客は沢山訪れております。きみだんごさんも17年ぶりにとは申しませんが、京都の旅を楽しんでみてはいかが? ひと月間の祇園祭が終わり、今月は五山の送り火が始まります。
さて、ご質問につきまして。 波乱万丈に生きる事、そういう人生を選択せざるを得ない場合もあると思いますが、長く生きてまいりますと、平凡に生きる事がいかに難しい
か、つくづく感じます。そう思いませんか? 知恵を生かし、気転を捉えて自らの特性を存分に生かしながらつつがなく平凡に生きる。平凡って簡単なようですが、今の世の中では尚更難しいのでしょうね。
次に、私も中品の三生の間を行ったり来たりするのかもしれません。そして来世でも再び人間の女性として誕生し現世を更にバージョンアップするか、若しくは異なった人生を生きてみたいと思います。きみだんごさんは阿羅漢になられるご希望だそうですね。仏門に入る事って生きながら死ぬことですが、本当にそれでいいのですか? 
きみだんご
2017年08月16日 15:07
引越しが無事に済んだようでよかったです。すごい行動力ですね。京都にはまた行ってみたいです。高校の修学旅行と社会に出てから何回か行きました。嵐山、嵯峨野、大原はもちろん京都御所、修学院離宮、桂離宮などへも宮内庁の許可を得て行ったことがあります。
もし、生まれ変われたら、友だちを沢山作って、もっと馬鹿なことをし、煩悩に塗れて、遊びまくって、人生を楽しみたいですね。今生はあまりに糞真面目に生きてしまいました。それでも失敗だらけでした。真面目にやって失敗してきたんですから、どうしようもないですね。でも後悔はないです。あと20年は人生を楽しんで生きようと思います。家族がいないから束縛されずに済みそうです。叔父のように子供に無理やり老人ホームに入れられることもないでしょう。健康のために卵と野菜ジュースと青汁を欠かさなければ、老衰でポックリと死ねるのではないでしょうか。情けない話になりましたが・・・
真萩
2017年08月19日 23:54
京都は何度も訪れているのですね。何が一番気に入っていますか? 仏教の教えを形にしたものが仏像なのだそうですね。お顔を拝見しますと心が和みます。好きな場所は鷹峰の光悦寺。一番奥の庵に腰をおろし連なる峰をしばらく眺めていますと気持ちが晴れ晴れしてすっきりしてきます
機会がありましたら是非いらしてみて下さい。
きみだんごさんが、過去を後悔はしていないと仰った事は大変救われますね。お母様もさぞかし安堵しておられるでしょう。 ブログ上で一期一会ではあるけれどもホッとしています。
私は100歳まで生きるつもりです(笑)(その位の目標を立てませんと怠けてしまいそう)病になど罹ることなく、ある日の朝突然観音様の差し出す蓮のうてなに乗って旅立っていた、となりたいのです。きみだんごさんとあまり変わりませんね。私も同様に人生を楽しんでまいります。素敵なニュースがありましたら又お知らせ下さいね。
きみだんご
2017年08月22日 13:15
なにごとも神仏の姿の現われなのかも知れませんね。神仏を拝めば心が和むのでしょうね。
後悔をしていないというよりも、私の人生にも良いことがありました。若い頃はエリート扱いされていましたし、そのせいでお嫁さん候補も沢山いたんですよ。今では考えられないことですがね。人生の浮き沈みはあって当たり前。今が底と思って、運が好転するのを願って、人生をじっくり味わってみています。今の苦しみも未来の慰めに繋がっていると思います。
病気にならないために努力していますか。私は卵を沢山食べたり、伊藤園の「1日分の野菜」を何杯も飲んだり、ヤクルトの青汁を飲んだりしています。そのせいか、この年でも何の病気もありませんし、体調も良好です。真萩さんにもお勧めします。

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